個人的に活動している「ミニバスケを通じて親子の心豊かさを育む」という活動をするコミュニティがあります。そのコミュニティ団長として、その団体ホームページで、「掘り下げるチカラ」の大切さをコラムにして書きました。…すると、そこへのアクセスからは、少年スポーツ関係者のみならず、企業の人事担当の方からも反響がありました。そうした経緯もあり、弊社のホームページにも同じ内容のコラムを記載することにしました。
…さて、その中身とは…。
「言われたことを素直にやる」
ミニバスケで子供達が上達するには、必要な要素ですね。「素直にやる」…とても大切です。
しかし、「何も考えずに、ただ言われたことだけを素直にやる」…コレは、何事も進歩が生まれにくい。
裏を返せば「何も指示をしないと何もできない子になる」というリスクもあります。
実は、社会人も全く同じことが言えます。
時に、“モンスター”な新入社員が、スゴイことをやってのける時があります。
取引先を訪ねさせて現金などでの支払い業務を指示された新入社員君…
訪問先から帰ってきて、先輩社員が「領収書は経理に渡しておいてね」と伝えると…
「え?領収書ですか?現金を持っていくようにとは言われましたが、領収書をもらって来いとは先輩言いませんでしたよ。そんなのもらってきていません。」
…シレ~っと言うモンスター君に、先輩が呆れるという光景。
さて、社会人にもなって手取り足取り、赤ん坊のように事細かに説明しないといけないのでしょうか?
いや、それは「社会の構造」を理解させていないんですね。だから機転も利かないし、当たり前のことができなくなってしまっている。
逆に、社会だけでなく、会社の仕組みまで理解しようと、何かと「なぜ?」「なぜ?」と聞いてくる社員がいる時もあります。
「先輩!この伝票って、5枚複写になっていますが、この一枚一枚の伝票は、どこにどのように使われるのですか?」
これは、好奇心旺盛だし、意識も高い可能性があるので、いい質問ですね。
しっかりと、会社の事務経緯を知ることで、仕組みを理解するキッカケになるかもしれません。
しかし…そこでも、やたらと疑問点があれば、先輩や上司をつかまえて、「なぜ?」「なんで?」と聞き出すだけで、いつまで経っても仕事の覚えが悪いタイプもあったりします。
なかなか物事の流れと本質を理解しようとしていないからですね。
仕事の指示・流れから、「掘り下げる」ということをしていないからです。
「ミニバスケでも気づかされる社会人に必要なスキル」
少し深く掘り下げる「力」
…これはミニバスケでもしっかり養えるものだと思っていたりします。
もちろん、具体的な手法は難しいです。お子さんの個性や、地域特性など、さまざまな環境の違いがあるから、「これ!」という有効な手段は言い切れません。
しかし…
日頃からまずは「なぜ?」ということを「問い掛けてみる」ということは必要なのかもしれません。
「なぜこの練習が求められるのかな?」
「この練習のどういうところが試合で活かされるのだと思う?」
そういう問い掛けを、マメに子供達と対話しながら練習するというのは必要だと思います。
職場での新人育成なら、「なぜこのような取り組み・なぜこのような手続きなのかを考えてごらん」という投げかけですね。
バスケで例えるなら…3メン速攻の練習は、試合でどのような時のために必要だと思う?
それを、全ての回答に否定することなく無限に近い形で引き出してあげる。
いわゆる「ブレインストーミング」ですね。
案外、大人が想定していた以上の素晴らしい回答も出るかもしれません。
今度は「その君達が大事にしたい試合でのそのプレーのためには、この練習はどういう意識で、どうやれば良いと思う?」これもまた、子供達自らが言う意見は、可能性がどんどん広がるし、しかも自分で言ったことは、子供達自らがやろうとする習性があったりします。
これの繰り返しは、「本質に辿り着こうとする掘り下げる力」である気がするのです。
掘り下げる力は、何につながるか…
自分がたどり着きたい境地に到着するための「課題克服」の材料を探すクセに必ずつながります。
課題克服をするための、「情報」と「今の自分にできる仕事」を、自分から獲りに行こうとします。
それこそが、仕事に対するモチベーションになるのです。
ミニバスケに例えるなら、それこそがチーム貢献に対するモチベーションになるのです。
その他、いろんなやり方があるとは思いますが…ミニバスケにおいては、疑問を投げかけて…子供達に答えを見出させる。
大人は、子供達が自分達で見出せるまでどこまで我慢ができるか…それが大事だったりするようですね。
全てのことを手取り足取りではなく、頭と心を使わせることが必要であることは間違いなさそうです。
「子供にできて大人にできないことなのか?」
具体的な事例で述べてみましょう。
娘が、小学5年生のときの話です。
チーム事情で、上級生がとても少なく、小学4年生の時から、試合には出てました。
つまり、対戦相手のマッチアップ相手は、常に体格の大きい上級生。
もちろん、厳しい試合結果ばかりで、周りからは「まだまだ下級生チーム。なかなか勝てなくて当たり前。」…それが本人にはどうしても悔しい思いがありました。
一方、同じく下級生の立場であるチームメイトのシュート確率は、当然他チームに比べると低い。
それなら「オフェンスリバウンドから、なんとかボールをもぎ獲って、もう一度シュートまで行きたい!」
他チームの上手い選手は、それができている。
あんな憧れるプレーができるにはどうしたらイイか…。
バスケ素人の親としては、コレくらいのことしか言えない。
「あういう試合でできている子というのは…おそらく、日頃の練習から何かの意識が違うんやろうね…。『練習でできていない子は、試合では絶対できない』って監督さんは言うてはるやんか…。」
その後も自問自答しながら、娘はある日、あることに気づきます。
「シュート練習の時でも、しっかり他の子のシュートを見て、声を出せ!!集中せいっ!」
この言葉…監督さんではなく、生活指導担当のおじ様からの檄でした。
娘はあることに気づきます。
チームでのジャンプシュートの瞬間、自分の順番が来るまで、他の人のシュートを見て「ナイシュー!」「一本!」と声だしをさせられている理由…。
なぜ、他の子のシュートも見て、集中しろというのか…。
ココに着目したのが、娘が小5の夏でした。
シュートが放たれた瞬間のボールの軌道は、リングに届かないのか通り越すのか…
シュートが放たれた瞬間のボールの軌道が、ズレているのは右なのか左なのか…
自分のシュートの順番が来るまで、それを観察するために、それを見極めるために、集中させられている。
「声出しをする」というのは…自分の順番が来るまでも、ずっとコートに集中すべき…。
コートの中には、自分を上達させる要素がたくさん埋まっているんやと…。
つまり、それは、「ボールの落下地点を予測できるようになるのための声出し」として、コートのどの位置からでも飛び込めるイメージトレーニングをするようになったらしいです。
それを続けていたら、小5の終わり頃には、かなりの数のオフェンスリバウンドが増えました。
しかも、そこからのバスケットカウントが、仲間が一番盛り上がることに味をしめたようです。
さらに…その掘り下げる力は、結果的にどこにつながったか…。
人がシュートを撃つ様子を、自分の順番が廻ってくるまで、ずっと観察し続けたことで、小学校卒業時期には、ファールにならないようなシュートチェックの数が格段と増えました。
それで僅差の試合を勝ったケースがいくつも出てきます。
もともと娘は、人よりも足は遅く、身体能力も低くて、とにかく不器用。
それを冷静に受け止めていた本人の自覚もあり、「それでも私は憧れの選手を抜かしたい」という想いから、彼女にあったのは、掘り下げる力から生まれる「工夫」だったのだと思います。
このような事例があったわけです。
「人を育てるのではなく、人が育つ環境づくりへの意識」
でも、これはあくまでも事例に過ぎません。
ここから難しいのが…娘が気づいた工夫は、当然チームメイトには教えたりしていたようです。僕も他の子にも伝えたこともあります。
しかし…人から教えられてやる子と、自分で気付いてやる子では、継続性が違うようです。
また、その先の自分の楽しみの見出し方も違うようです。
だからこそ、「なぜこういう練習をしてるんだろう?」「今の自分に足りないものとこの練習はどのようにつながるんだろう?」ということの「対話」くらいは、大人と子供の間であっても良い気がするのです。
保護者としても、おそらくご指導者としても、「気付かせる環境作り」が一番難しいんですが…子供達が気付いてくれた時は、震えるほど嬉しいものがありますよね。
今後この国が心豊かな社会になっていくためには、今ミニバスケをしている子供達のピュアな心がとても必要だと真剣に考えています。
そしてそれはまた、会社組織などの新人育成でも同じことが言えると思うのです。
弊社が、人材育成の仕事依頼があるとき、実際に若手社員の方々には、「仕事の本質」「上司からの指示」について掘り下げる大切さを、先に書いたミニバスケの「他の人のシュート軌道を観る」という事例を用いてレクチャーすることもあります。
例えが子供の話だけに、それは新生社会人だけでなく、時には管理職の方々の心にも響きやすいようです。
ぜひ、日頃の何気ない仕事職場から、「自分を磨けるようになるための情報」と「チーム貢献するために自分にできる仕事」というのは、指示を待つのではなく、自分から探して動くというクセをつけて欲しいと切に願います。
社会人にも、ミニバスケの子供達へのメッセージと同じことが言えます。
『情報と仕事は、自分から獲りに行くもんやで!待つもんと違う!』